くらむせかい

精神虚弱なぼっちヒキニート

放送大学について

願書を書いたことをブログに書きましたが、結局それは出されずに、いまもわたしの机の上にあります。諦めが悪いというか、思い切りが悪いというか。願書が出せなかった理由のひとつは、読書障害です。本が読めなくなったのです。本来放送大学は、テレビでの授業放送と併せて、配架されるテキストを使って勉強するものです。わたしはもともとテレビが得意ではなくて(聴覚を言語に変換し、理解するのに難があります。私生活でもよく、相手の言っている言葉の意味がわからなかったり)、テキストメインで勉強をするつもりでした。ジャンルはまずは心理学と世界文学。わたしの興味のある分野です。
ですが読書障害が発生し、聴覚のときのように、目で追う言葉の意味がわからない状態になりました。テキストはおろか、一般的な小説やエッセイすら読めず、集中力も底をウロウロしている状況で、とても勉強できる状態ではありませんでした。
傷つくことはよくあります。先日も、23年度の公務員試験の教本を持っているひとを見かけて、胸がえぐられる思いがしました。わたしもがんばりたかったし、お金の計算もして、文房具も揃えて、学習の習慣化(午前4時〜2時間)にも取り組んでいる最中でした。
気がついたら字が読めなくなっていた。この恐ろしさは相当なものでした。放送大学を諦めればいいだけではありません。わたしが生涯大切にしていきたいと考えている「読書」もできなくなったのです。
なにもない日々がつづきました。休みの日には午前4時間、午後4時間かけて一冊の本を読んでいました。それがなくなりました。わたしはベッドの上にただ座っていて、ほかになにもなくなりました。
わたしの世界には音楽もなければ、スイーツもなく、本もなければ、絵も、Twitterもありませんでした。見るものすべてがわたしには読めず、謎めいていました。わたしを試してきました。わたしが勝てる勝負などひとつもないのに。
積ん読された本の中には、読むことをほんとうに楽しみにしている本もありました。まだ手に入れていない名作もありました。すでに廃番になっていて、頭を使って考えないと手に入れられない稀少な本も、読みたかった。
わたしは読みたい本のリストを先の1年間分エクセルでリストにしていました。精神病理学、心理学、自然科学入門、宇宙のこと、探究心旺盛だった昭和のひとびとが書いた鋭いエッセイ、詩、海外文学、SF、当事者研究、どれも読みたかった。どれひとつとして、わたしの人生から無くしてもいいとおもっているものはありませんでした。
それでも、読めなくなりました。1行も読めなくなりました。わたしの生活は空っぽになり、作られたように単調なものになりました。生きている意味がわからないほど、戸惑いました。
読書ノートを開いては、過去に読んだ本の一節を思い返しました。それは言葉が読めなくてもできました。すでにわたしの心の中に意味があり、言葉はその記憶の部屋に通じる鍵でしかありませんでした。ブローティガンサリンジャー、ジョン・グリーン。戦争の悲しみ、オラクル・ナイト、どきどき,ぼくの人生。わたしはそれらの部屋を渡り歩き、夜がふけるまで読み続けました。頭の中で、頭の中を、読みました。
そういうわけで、わたしは放送大学を諦めることにしました。また数年(か、数十年?)が経ち、本が読めるようになると、やっぱり勉強がしたくなるかもしれません。
わたしは今回の件で、自分が成長したと感じています。前へ前へ進むことしか考えていなかったわたしが、強制的に立ち止まらされたことで、生活の質が落ち、それでもなお生活はつづくのだと教えられました。本が読めなくても生活はつづくし、病気になっても生活はつづくし、その生活というやつは想像以上にハードなものでした。空っぽなのにとても大変だった。空っぽになったらもっと楽になるものだと思っていたのに。
不思議なものですね。たぶんみなさんは生きていくうえで、生活の大きさを体験し理解して、抱えているのだとおもいます。わたしは考えがすっかり子どもで、生活のことなどなにひとつほっぽりだして、勉強・研究する日々を手に入れようとしていたのです。到底無理な話だったのだといまならわかります。
それでもまた、本が読めるようになるとうれしいな。
時間は巻き戻せないけれど、新しいわたしが、新しい読書を与えられて、生活とともに、生涯学習と大いなる趣味(読書)を大切にできる日を願っています。