くらむせかい

精神虚弱なぼっちヒキニート

くらむせかい

わたしが死んでいないことがあなたを傷つけなければいいけれど
 
ずいぶん久しぶりだと思いますが、一方で、ほんの二三か月しか経っていないようにも思えます。それとも宇宙ひとつ分くらいの……
わたしが死んでいないことがあなたを傷つけなければいいけれど。
あれからなにがあって、どう過ごして、いまいかようにして日々を過ごしているのか、話せるほどには、言葉は戻っていません。
そういった喪失には寛大になれたのかな。と思います。
もう更新することはないと考えていたのですが、さて、お友だち……そう、あの頃のくらむはとても差し迫った日々を過ごす中で、ブログを通じて出会えたお友だちに支えられて生き延びることができました。みんな同じくらいの年齢で、わたしよりはネットに達者なひとばかりで、わたしよりも奇跡みたいにぎりぎりと生きていたみんな、あるいは飄々と生きていたみんな、言葉で語ってしまうとあっけなく見えてしまうけれど、みんなのことをわたしはとても大好きだったし、わたしのことも大好きでいてくれましたみんな、どうもありがとう。
ありがとう。
少し年を取りました。みんなも、取りましたか?
みんな、生きていますか?
働いていますか?
愛するひとはいますか?
愛したいひとはいますか?
お勉強ははかどっていますか?
ブログの収益はどんな具合ですか?
泣けていますか?
声は出ますか?
ごはんは食べていますか?
夜は眠れますか?
ときどき、ほんのときどきだったけれど、ネットに繋がれたときには、みんなのブログを見て回ることがありました。
ここ。
くらむのいた場所と、くらむのお友だちがいた場所、ここがたぶん、わたしの帰ってくる場所なのだと思います。
どんなに遠くに行っても、もういちど帰ってくることはできなくても、この目が軌跡を見失ってしまっても、この足では辿り着けなくなっても、それでもここ、くらむがいて、みんながいた、あなたがいた場所、ここがわたしが帰る場所。
そんなふうに思って生きてきました。
(これからも思っていて、いいかなあ)
 
ずいぶん遠くまできた気がします。だけど、どうかなあ、あんがい”くらむ”から弾き飛ばされてしまって(くらむはとてもとても生き生きしていたし、それは過剰でしたからね。はんたいの衝動に抗い、生き延びるために)、わたしは残された内圧に阻まれて、くらむの中に戻れなくて、ぐるぐる、周りを回っていただけなのかもしれません。いや……
 
ねえ。
こんなふうに思うんです。わたしとあなたのうち、消えてしまえるのは片方だけ。残されたほうはどうしたって消えることができない。そういうふうに世界はできている。
”くらむ”はもういないのだと思います。
それはとても淋しいことです、あの子がもういないなんて、だれよりもわたしだったのに。
だけどね。
くらむがいなくなったことで、生き延びたひとが(あの子は死んでしまった、だからわたしは死ねないわ)いるのならば、その世界の取引を……わたしに返してもらいたいんだ。
くらむの代りに生き延びたのはわたし。
だから、この数年を生き延びたひとがいたら、それはくらむのためではなくて、あなた自身のため、あの頃のあなたを失った代りにあなたはいまを生きている、そんなふうに考えてほしいな、って思っています。
 
わたしが死んでいなかったせいで傷つくひとがいませんように。
 
なんかくらむっぽいことを書いて、「うへー懐っかしい!」ってみんなを呟かせようと思っていたけれど、どうでしょう、呟きました?え、まだ?ふふ、大丈夫だよ、いまからでも間に合うからね、みんなで言えば怖くないよ、せえーの!
 
待っていてくれたとは思いません。忘れてしまっていて思い出せなくてもいいです。
でも、どうしてでしょうね。いつか戻れるなんて思ってはいなくて、それはきっと戻れると考えていたも同然で、どちらにせよ、その時わたしは苦しむだろうと思っていたのに、どうしてかな、いま、ちっとも苦しくありません。
むしろ、なんだか嬉しくて、ちょっぴり微笑んでさえいます。
 
そうしようかなと思えたので、ここ、開けておきます。
いつかまた戻ってこられるように。
みんなに会えるように。
 
こんばんは、みんな。
こんにちは、大好きだったお友だち。
おはよう、あなた。
あなたたちが生きている、そしてわたしも(まだ!)生きている、この眩む世界よ。
 
 
 
はろーはろー
聞こえていたよ。
目を閉じていても、耳が機能しなくても、わたしがわたしじゃなくなっても、いまも、きっと明日も、聞こえる。
「ただいま」って言うよりさきに、あなたの「おかえり」が聞こえていた。
 
ただいま。
 
 
くらむ