くらむせかい

精神虚弱なぼっちヒキニート

子どもの頃から、大きな会社に定年まで勤めて、両親を看取り、兄妹の後見人になるのだ、と考えていた。二十歳を迎えても同じ考えで、就活をして、就職をした。その頃は人生がとてもわかり易くて、大きなものを背負っているつもりではいたが、いまとなっては、なんと単純で、幼稚だったのだろうか。
他人の人生を背負うことはできても、自分の人生を見つめることはできなかった。わたしの思考は常に、わたしの身体とはかけ離れていた。猫のようだとおもう。猫も、自分自身の身体を把握しておらず、だから飛び移り損ねたり、自分のしっぽに驚いたりするのだ。
わたしは、十代や二十歳の頃よりもすこし年を取り、世の中が見た目ほどは単純ではないことをすこし知った。思いがけない瞬間に年を取ってきたようにおもう。
それでもまだ、わたしは自分自身の身体をわかっていない。どこに身体の始まりがあり、終りがあるのか、目に見えないものも、見えるものも、わからないでいる。