くらむせかい

精神虚弱なぼっちヒキニート

パソコンより

せっかくパソコンを開いたので、パソコンで今日は日記を書いてみようと思う。すこし早いけれど、また夜になれば書けばいいだけだ。
憧れているブログを見たが、いい加減憧れが募り、読者登録はしなかった。毎日読んでしまったらこちらの心のバランスが崩れてしまいそうだ。実際のところは心なんてものにはバランス機能はないと思っている。あればこんなにも苦しむ人がいていいはずがないではないか。心は天秤でできていない。ルービックキューブのようなものだと思う。
音楽をレンタルしてきた。事前にメモをしていたのだが、そのメモを忘れてきてしまい、結局うろ覚えのまま、そのあたりにあるCDをレンタルしてきた。その中には『YOASOBI』が入っている。

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PVはこの記事にYouTubeを貼るにあたって初めて見た。以前にも書いたがくらむの音楽情報源はNHK紅白歌合戦だ。年に一度だけ音楽を聴くことのいいところは自分の感性にまっすぐ向き合えるところだ。いやがおうにも感性に合わない音楽は耳に残らない。反対に、たった一度聴いただけで耳に残り、心に残り、消えてなくならない音楽がある。有名な曲とは限らない。たとえばコンビニの有線やインスタのバックミュージックで、臨時に聴こえてくる音楽に夢中になることもある。

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声の揺らぎが好きだ。だれかの声が好きだ。くらむは以前は他人のように音楽が好きだったが、それは音楽が好きだったのではなく、自分自身への関心が強かっただけなのだと思う。いまは関心が下がっているから、音楽にも心が開かれないのだろう。

それにしても世の中のスピードは速すぎる。くらむにはとうていついていけない。ついてこいとも世の中は言わないし、こちらとしてもどうしてもついていきたいところではないのかもしれない。だが淋しさはある。
こうして毎日のようにブログを書いているのは、ブログひとつでくらむを管理できたらいいな、ブログを見れば以前のことや知りたいことがわかるようになればいいな、というメモ帳的機能を求めているからなのだが、それだけではない。
地域の見守り隊のように、見守られたいのだ。くらむがここにいること、ここで生きていること、生きていたことを、第三者に伝えたい、知っていてほしい、そういう思いがある。

くらむはこれから少しずつ動いていこうとしている。その背中をそっと押してほしい。わたしの存在を認めてほしい。他人同士の優しさで挨拶をしてほしい。それだけというには大きすぎる期待だろうか。
2015年頃にブログを書いていた理由は、もっとアグレッシブな理由だったと思うが、いまの理由はメモ帳と見守りだ。どうかわたしのことを見守ってください。スターを押してくださるだけで結構ですので。

 

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中卒以下だということを、性分なのだろう、やはりそれをそのままにしておくことが気になって仕方がない。いまさらどうでもよいことだと他人には思われるだろうし、実際どうでもよいことだ。履歴書に影響をするような話ではない。それでも気になるのだから、もう仕方がないだろう、性分なのである。
図書館に行って、放送大学の教本を貸し出してもらってきた。(これだけで全身で拍手してもまだ足りないほどの行動力である、くらむにしてみればねえ)この中から読めそうなものを選んで今春から科目履修生として放送大学に在籍してみようかと考えている。あるいは、もうひとつ検討している通信制大学もあって、そのどちらかにするつもりだ。無駄なことだとは、自分自身でも思っている。そんなふうに思わなくてもいいのだが、くらむの中には現実主義者が巣食っていて、手放しに喜べないのだ。それでも、だましだまし、やってみようかと思っている。

今回こうしてパソコンを立ち上げることができて、より、放送大学への思いは強まった。それというのも、憧れのブログをがん読みしたこともあるし、あともうひとつ、watto(id:watto) さんのTwitterを読んだからでもある。昨日の夜のことだったが、生活保護についての扶養照合が義務ではないという話があった。それらのやりとりを読んでいて、力をもらったのだ。この世の中はまだまだ広いと思った。

たいていほんとうに心を動かされた時には言葉などないものだ。